2月のはじめにグループホームから連絡が入りました。母が腹痛を訴え、夜間救急外来へ。入院することになったと。以前にも腹痛で同じ病院へ入院したことがあり、その時は何かの菌の感染で1日2日で退院できた経験があり、今回もそんな感じかなぁそうだといいなと、そんなに重く考えてはいませんでした。
が、翌日になって検査をしたが原因不明で痛みも強いようで数値的には命の危険がある、数値を下げるための応急処置はしているものの数値がよくならない状況との連絡が入り、急遽病院へ向かいました。私が到着した頃にはなぜかにこにこ顔。「昨日はお腹痛かったの?」と聞くと、「昨日は痛かった」とはっきりと言い、この回答ができると言うことは相当痛かったのだなと思いました。鼻に点滴をくっつけられながら、いやににこやかなことに少し違和感を覚えました。
看護師さんはさっきまでは痛みが強かったみたいで暴れていて大変でした、いろいろ外しちゃうので軽く拘束させてもらっています、と。担当医からは数値は変わらずに悪い、一旦2週間の入院予定とのことでした。
表情からすると大したことないんじゃないか、そうであってほしいと言う気持ちでした。グループホームでも一番元気で体力があると思われており、実際そうでした。
それからは数値の波を繰り返し、唸りながら苦しそうに顔をゆがめ、とにかく手を動かして暴れようとしたり。眠れない日が続いていていたと思います。時々疲れて少しだけ眠るという感じ。どこがどう痛いのか今は大丈夫なのか、本人から説明はできず表情で読み取るしかありません。入院から少し落ち着いた瞬間がありました。落ち着いた少しの時間には歌を歌っていました。歌なのか呟きなのか。看護師さんたちは歌ってますよと、驚いていました。
落ち着いたとはいえ、心音計というのでしょうか、心拍音の電子音が響く病室です。痛いはずなのです。食べていないので、体力も落ちているはずなのです。…歌を。
ちょうど良くグループホームのケアマネジャー含め3人の職員さんがお見舞いに来てくれました。インフルエンザの流行で面会の制限があったのですが、少しだけと病院の許可が出ました。病状を踏まえて配慮があったのかも知れません。
グループホームの職員さんを見るなり、母は明らかに表情をゆるめ、とてもとても嬉しそうに大きな身振り手振りで一生懸命なにかを伝えようとしていました。ちゃんと職員さんだ、いつも一緒にいてくれる人だとわかっている様子でした。職員さんたちも泣きながら母の案外元気そうな姿に喜んでくれていました。
この時、すべてがわかったのです。
この場にひとつのあたたかい光がさしたような不思議な感じがしました。
隣で弟も同じように感じていたみたいでした。
・・・この頃母は相当認知症が進んでしまっていて、食事や排泄に問題行動が出ていたり、職員さん達をびっくりさせる、手間をかけることが多くなっていました。私は内心、迷惑かけて申し訳ない、早く次の段階の施設へ移るべきなのではないか、と思っていました。
それから私は、母がこの状態の自分を見たらどう思うのだろうか…生きていたいかなとも思っていたのです。
でも、このお見舞いの際の母の姿を見た時、職員さんたちの表情を見た時、私は自分が恥ずかしくなりました。母は母でちゃんと自分の居場所を作っていたのです。ちゃんと人として周りの人に愛されているんだ、と。ちゃんと母を尊重してくれていることが伝わってきました。そして職員の皆さんに対してより一層の感謝の気持ちが湧き、こんなに嬉しそうな母を絶対にみんなが待つグループホームへ帰したいと言う気持ちになりました。
母にとって多くの意味でちゃんと帰れる場所、帰りたい場所があったのだ。
食事も取れない状態なのに、私は退院の方向で気持ちの準備をはじめました。希望を含めた思いだったと思います。10日ほど寝たきり、食事はできず点滴だったのでもとの生活に戻るにはリハビリが必要になるな、と考えたり退院の手続き、病院へのお迎えはどうしましょうなどとケアマネジャーさんに相談していました。
希望的観測です。
つづく…

