少しずつ制限は緩和されたものの、2023年5月(新型コロナ5類への移行)までは施設内での面会しか許されず、運動不足が心配だった私は「外を歩かせてあげたい」とお願いしました。許可されたのは”施設敷地内で30分以内の散歩”。お天気の良い日は、毎回母と二人でその小さなコースを歩きました。
5月以降は外出も可能になったものの、その頃には母の状態が少しずつ難しくなっていて、私は「どこへ連れて行けばいいんだろう」と迷うばかり。結局、秋まで一度も外へ連れ出せず、変わらず施設の周りを歩く程度でした。せいぜい施設前の歩道橋まで一緒に行き、景色を眺めるのがやっとの“外の時間”でした。
さらに母は症状が進み、おやつを持って行っても食べ物だとわからないことが増え、お散歩にも興味を示さない日が多くなりました。景色や草花にも反応が薄く、私はどう接すれば良いのかわからず立ち尽くすこともありました。
今思えば、あれは認知症の方にはよくある反応で、「その反応」と「心の中」は別なのかもしれない。そういえば職員さんたちは、反応が薄くても気にせず、穏やかに、朗らかに話しかけていたなぁと。私はあのとき、同じようにはできなかった。
もしかすると、せっかくの貴重な時間を有効に使えなくて、母は心のどこかで「もっと外を歩きたい」「もっと気分転換したい」と思っていたかもしれない。
2023年11月の晴れた日、やっと思い切って近くの公園へ行くことにしました。ちょうどその日は施設の職員さんたちが行事で忙しく、「来てもらえると助かります」と言われていたこともあり、母の機嫌も良かったので、少し長めの外出を楽しもうと思ったのです。
その公園は、母が車を運転していた頃によく通り過ぎていた場所。行ったことはなかったのですが、「きっと母も覚えているかも…」という思いで向かいました。
ところが、歩いてみると想像以上に遠い道のりで、ゆっくり歩いても時間がかかってしまい、出発時には機嫌の良かった母が、帰り道には不穏な様子を見せ始めました。
私の言うことを聞いてくれず、道路に出ようとしたり、通りのお宅に入っていこうとしたり。そして、小さな声で「助けて」と繰り返す母……。
私は母の行動を止めようとし、母はその手を振り払う・・・そんな悪循環に陥ってしまい、母の力も強く私だけではどうにもならなくなりました。目の前に施設の建物が見えているのに、その距離が果てしなく遠く感じられ、たまらず近くに住む弟に助けを求めました。弟が到着する頃には、なんとか施設まで戻れてはいたのですが…。
久しぶりの外出で長い距離を歩かせてしまい、母の体力や状態をきちんと考えられていなかった。
コロナ前の母とはもう違うんだという現実を、私はまだ受け止めきれていなかったのだと思います。結果的に、あの日の不穏行動を招いてしまったのも私の未熟さや判断の甘さだったと感じました。せっかくの貴重な時間だったのに…。
そして私は、あの日の母の姿と言葉に深く傷つき、自信を失ってしまいました。外出のリスクが怖くなり、再び施設の敷地内を歩くいつもの散歩コースへ戻ることになりました。
それでも私は、母の笑顔を少しでも見たくて、何度も足を運びました。母のふとした笑顔や、時折見せてくれたひょうきんな仕草は、どんな日でも私の心をそっと癒してくれる大切な光でした。
つづく…


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