私が小ヤンキーになった理由💧

私の日々のこと

いちばん“面倒な子”だった私のもがき

幼少期から3兄弟の中で、私はいちばん反抗的で、いちばん手のかかる子どもだったと思います。
兄と弟は、優等生とまではいかなくてもおとなしく、親の言うことをよく聞くタイプ。
どうして自分だけがそうなってしまったのか・・・その理由を、当時の私にはわかりませんでした。
けれど、心の奥にはいつも「どうして私だけ?」という気持ちがありました。

掃除や洗濯、週末にパートで不在の母の代わりに夕食を作り、後片付けも担当。
父の靴を磨き、お酒のセットを用意する。
月に一度の地域の掃除にも母の代わりに参加。
すべて両親からの“言いつけ”でした。週末はいつも大忙し。

人前が恥ずかしく、大人と話すのも苦手だった私にとって、地域の掃除は地獄のような時間。
それでも「女の子だから」「当たり前だから」と言われ、逃げ場はありませんでした。

今振り返れば、我が家は典型的な“無自覚の男尊女卑家庭”でした。
兄や弟にそんな言いつけは一切なし。
のちに彼らも娘を持ち、「あれはひどかったよね」と今でも時々話します。
でも当時の両親は、それが“正しい女の子の育て方”だと信じて疑わなかったのでしょう。

不満を抱えたまま小6で反抗期に突入し、中学では…まあ、ご想像にお任せします(笑)。
両親は「どうしてお前だけが…」と戸惑い、私も素直になれずぶつかり合う毎日。
今の時代では考えられないけれど、よく殴られていました。体当たりのぶつかり合い。
それだけ反抗も激しかったんです。とにかく当時の私はササクレ立っていました😱

その頃の私は、自己肯定感が底をつき、自分の存在価値が見えなくなっていました。
その影響は大人になっても尾を引き、なかなか定職につけなかった理由のひとつになったかもしれません。


愛情を感じたのは、ずっとあとになってから

どこかで、愛情は感じていました。
当時はイヤで仕方なかったけれど、帰りが遅いと外で父が仁王立ちして待っていたり(笑)、中学生の兄弟が私を探し回っていたり…。
思春期まっさかりの私には鬱陶しくても、それもまた“愛”のかたちだったのだと思います。

とはいえ、わだかまりが消えるまでには時間がかかりました。
そんな関係なので、両親は私に遠慮がまったくなく、大人になっても「お前はまだまだだな」と教育モード。
それに反発する私。・・・悪循環の繰り返し。

そんな私を見かねた兄が、「一度ひとりで暮らしてみたら?」と勧めてくれました。
20代後半、給料は低く生活にゆとりはありませんでしたがひとり暮らしを始めたことで、ようやく物理的にも心理的にも“距離”ができ、少しずつ関係が変わっていきました。

そして、両親のことを本当の意味で受け入れられたのは・・・年月が経ち父が病気で入院し、ほとんど話せなくなった頃。
言葉って、時に邪魔になることもあるんですね。
静けさの中でこそ、心がまっすぐ伝わる瞬間がありました。
そのとき初めて、腑に落ちたんです。
私はずっと愛されていたんだ、と。

母は、ちょっとした言葉や行動でさりげなく愛情を見せてくれる人でした。
だから、気づいたらちゃんと伝わっていた。
存命のうちに、それを感じ、伝えられたこと・・・本当によかったと思います。

いろいろあったけれど、あの頃の私がいたから、今の私がいる。
そして・・・反発心をエネルギーに変えた私は、思いがけない道を歩き出すことになります。

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