第3回:母の変化ー父とのお別れ

母と私

父が亡くなったのは、母が認知症と診断されてから1年ほど経った頃でした。
父と母はとても仲の良い夫婦でしたから、本来なら一番悲しいはずの母が、葬儀の場で泣くこともなく、服装を気にしたり、ぼんやりとしていた姿が忘れられません。父の死を頭では理解しているものの、心がついていかないような、どこか居心地が悪そうに見えました。

その姿に、母の認知症が確実に進行しているのだと実感せざるを得ませんでした。
頭でわかる瞬間と、何もわからない時が入り混じっている。もし一人で過ごしているときに“わかる瞬間”が訪れたら、母はどれほど悲しいだろう…そんなふうに考えると胸が締めつけられる思いでした。

父の病院へのお見舞いも途絶え、生活が大きく変わったことも影響していたのでしょう。ショックな出来事や環境の変化は認知症の進行を早めると聞いていましたが、その通りだったのかもしれません。進行を実感する時、如実に変わっていく母を思うたびに本当によく泣いていました。

それでも当時の母は、一人でバスや電車に乗って、行きつけのカラオケ喫茶へ通っていました。
ある日、私と買い物に出かける約束をして、駅前で待ち合わせをしたことがあります。秋口の肌寒い日でした。そこへ母は、真夏の格好で、とびきり嬉しそうに現れたのです。お気に入りだった上下お揃いのツーピースを身にまとって。

その姿を見た瞬間、私はつい「なんでそんな格好で…」と責めるような言葉をかけてしまいました。今思えば、その言葉で母は傷ついたに違いありません。
あの時にもっと優しい言葉をかけられていたら。先が見えている今だからこそ、そう強く思います。思い出すたびに胸が痛む出来事です。

その後まもなく、母は自宅近くのデイサービスに通い始めました。
かつて父を送り届けていた場所へ、今度は母自身が通う立場になったのです。最初は抵抗があったものの、歌うことや物づくりの作業が大好きな母は、すぐに笑顔で通うようになりました。送り迎えをしてもらえる安心感もあったのでしょう。

その頃から、私は母の生活を少しでもわかりやすくするために、タンスの引き出し一つひとつにシールを貼るようになりました。
少しずつ変わっていく日常の中でも、母が歌を口ずさみ、楽しそうにしている姿を見られることが、私にとって救いでした。

私の経験と同じように今、渦中にいらっしゃる方のお役に立てればと言う気持ちを込めて書いています。

つづく


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