第20回:母の旅立ち

母と私(介護・家族の物語)

母は転院を含め約20日間の入院後、息を引き取りました。

転院前の病院でも危険な状態であると言われ、一度病院で夜間付き添いました。
その時病院で準備してくれた簡易ベッドで母と手をつなぎながら寝ました。命のアラーム音が鳴り響く病室の中、息をしているのか心配になりながら、実質20分も寝られなかったと思います。
でもその時間で母と話をしました。と言っても手をつなぎ私が一方的に話しかけ、母の反応はありません。

本当は寂しかったのにひとりにしてごめんね。
大事なお母さんの家を取り上げてしまってごめんね。
嫌なこといっぱい言ってごめんね。
旅行また行こうと約束したのに1回しか行けなくてごめんね。でも楽しかったよね。
小さい時から反抗的で心配かけてごめんなさい。

こんなことを何回も何回も繰り返して話しかけました。
この時間を持てたことはとてもありがたかったです。母はきっと聞いていたと思っています。

手術後、担当医との面談で重篤な状態を実感してから、涙の日々がはじまりました。
何をしていても母との時間が少ないんだと思うと涙が出ました。関係性はともかく、やはり母は私の最大の「味方」だったのです。

病院に行くと言っても30分しか滞在できないと思うと毎日通うことはしませんでした。
会社に甘えて毎日通えばよかったと今更ながら思います。

そしてその日はやって来ました。
姪の受験が終わり、姪と待ち合わせをして病院へ行く約束をしていた日の早朝のことでした。携帯電話が鳴りました。すぐにわかりました、お母さんだと。「すぐに来てください」と病院からでした。

とても寒い朝でしたが、寒さを感じる暇もなく弟に連絡し、タクシーで病院へ向かいました。
到着すると必死に息をしている母がいました。そして母の手は両手ともむくんでいました。最期にむくむ、と聞いたことがありました…。見慣れたゴツゴツとした母の手はありませんでした。

「まだ生きたいよ!怖いよ」
「もう死んじゃうの?」

そう母が言っているように感じました。母が一番驚いているように感じました。
入院当初は手を握るとわざとギューッと力を入れてきました。弟の手は母の爪の跡がつくくらいに「まだこんなに力あるんだよ、大丈夫だよ」と言いたげに。母自身、昔から体が元気だと言う自負がありました。

数値の上下を繰り返しましたが母は頑張りを見せ、夜になっていました。
姪と私の二人で、「おばあちゃん、お母さん」交互に呼びかけを繰り返しました。

怖がりでもあった母に私は、

怖くないよ、大丈夫。
がんばったね、ありがとう。

と繰り返し伝えました。

息が小さくなって行き、アラーム音が、ピーーーっと鳴り、最期…また息を吹き返す。
なんとそれを4回ほど繰り返し(看護師さんにも笑いが…驚きの最期でした)最期の時を迎えました。
母は生きたかったのだと思います。信じられないという心境かもしれません。

つい最近まで元気に歩いていたのに。ごはんも食べていたのに。笑っていたのに。
命が終わるとは、あっけないものです。

心から愛する人とのお別れ。
母は「一番の味方」として私の中でこれからも生き続けます。

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