第15回:1年ぶりに再会した母の姿

母と私(介護・家族の物語)

2021年10月、緊急事態宣言の解除により、母との対面の面会が叶いました。10分から15分、玄関で家族二人までの制限付きです。

職員さんに寄り添われて母が現れました。職員さんと腕を組みながら、そうっと廊下を歩いてきました。その姿にやや嫉妬のような気持ちを抱いてしまった私です😅

1年ぶりの母の姿は、相当時間が経過したかのような足取りで、体は痩せて小さくなっていました。グループホーム入居の前とは大きく変わってしまっていました。入居前は一人でスタスタ歩いたり、走ったりもできる元気な79歳でしたが。やはりコロナ禍で全く外出ができず、たったの1年と少しで、運動不足になり筋肉が落ちたことが大きいようでした。

対面での面会ができなかった間に変わったその姿にはショックを受けました。オンラインではわからなかった大きな違いでした。
しかし再会直前のわくわくした気持ちと、会えた時の嬉しさは今でも覚えています。マスクは必須でしたが、接触については細かいことは言われず、ビニールカーテンは設置されていてコロナ禍の面会を実感しましたが、カーテンは開いていて二人になると手を触ったり肩をさすったりできました。消毒はお互いこまめにしながら💦人との接触が苦手な母でしたが、すっかり受け入れてくれる人になっていました。

母は飄々としており、当時の報道でよくあった涙の再会ではありませんでした…想像と違い😅かえって助かりました。会話は同じ話の繰り返しです💦それでも楽しく嬉しく、面会できただけで充実しました。
この時に遠方に住む兄と私のスマホをオンラインでつなぎ、やっと兄との面会も叶いました。兄の名前と母にとって大事な人だということはわかっている感じに見えました。
久しぶりの面会後の母の不安定を心配していましたが、この日は面会後も穏やかに過ごせたようでした。

やっとこれからは制限も解除されて自由にできる!どこで食事しようか、久しぶりに弟一家も誘って!と前向きになっていました。
ところがすぐにコロナ前に戻るはずもなく、制限付きが続きました。お花見に行ったり、お出かけしたりしたかったのですがそこまですぐに自由にはなりませんでした。

面会ができるとは言え、会える時間は限られていて、やっと顔が見られたと思ったら、その日の体調や気分で表情が曇ったり、とにかく落ち着かなくてご機嫌ななめ。
穏やかに話せる日もあれば、落ち着かず、どこかへ行こうとしたり、表情がさまよったりする日も増え、会うたびに嬉しさと切なさが入り混じっていました。

帰ろうとすると母は敏感でした。またねとかバイバイという言葉に反応して、不穏になってしまうため、最後にきちんと別れの言葉を交わす日はほとんどなくて…。

職員さんが「ちょっとお部屋戻りましょうね」とやさしく声をかけ、母がそちらの方へ気を向けたタイミングで、私はそっと施設を後にしていました。あの背中を見るのを最後に隠れるように帰る私。「こんな去り方しかできない」と思う自分と、「でも今はこれが母にとって一番いい方法」と言い聞かせる自分と…複雑な気持ちでいつも玄関を出ていました。

それでも、どんな形でも、会える日は母の姿を見ることができるだけで救われていました。今思えば、あの不器用な別れ方も、当時できる精一杯でした。

この間も施設では変わらず様々なイベントを開催していただいていて、毎月施設で作っていただく新聞のようなものに母の写真を載せたものを送っていただきました。私はその新聞を楽しみに待ち、私もこのイベントに一緒に参加することができたらもっと良い瞬間も笑顔の時間も一緒に過ごせるのに…と思いながら新聞の母の姿を見るのでした。

つづく…

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